「目玉焼きは洋食?和食?夫婦で違った『普通』と、我が家の食卓」
こんにちは、Fumyです。
実は、ずっと気になっていたことがあります。
目玉焼きは、洋食なのか?和食なのか?
くだらないことかもしれません。
でも、日々食事を作っている身としては、意外と悩む場面があるんですよ~💦
全く違う人生を歩んできた二人が、夫婦として一緒に暮らす。
そこに至るまでには、それぞれの家庭があり、それぞれの食卓があり、それぞれの「当たり前」がある。
今でこそ、夫の食の好みもかなり理解できるようになりました。
でも、結婚当初は驚きと発見の連続でした。
これは、お互い様かな(;^ω^)
いや、もしかすると、夫のほうが驚いていたも?(笑)。
今回は、そんな我が家の食卓から、夫婦の「普通」について考えてみようと思います。
目玉焼きは洋食?和食?

ある朝、朝食に目玉焼き、ウインナー、ベーコンなどを準備していました。
そのときは何も考えず、いつもの流れで食パンをトースターに入れようとしていた私。
「パパも、焼いていい?」
すると、目玉焼きを見た夫から一言。
「目玉焼きには、ご飯でしょ👆」
……え?
そうなんです。
夫にとって、目玉焼きは和食だったんです。
私の中では、
- スクランブルエッグ → 洋食
- 卵焼き → 和食
- 目玉焼き → 洋食
- 温泉卵 → 和食
- 生卵 → 和食
という、なんとなくの分類。

ほとんどの分類は、夫婦で意見が一致しました。
問題は目玉焼きです。
「ハンバーグの上に目玉焼きが乗ってて、ナイフを入れると黄身が流れるイメージがあるんだけど……」
「それはロコモコでしょ?」

「た、確かに……。じゃあ、ロコモコは何料理?」
調べてみると、ハワイ発祥のローカルフード。
「ってことは、ハワイ料理? これも洋食でいいの?」
私、プチパニック(笑)
同じ「目玉焼き」の話をしているのに、頭の中に浮かんでいる食卓が違う。
結局、夫のゆるぎない意見が採用され、我が家では目玉焼きはご飯と一緒に食べることになりました。
今思えば、目玉焼きは和食か洋食かなんて、そんなにきっちり分けられるものでもないんですよね。
でも、こういう小さな違いが、結婚生活では意外と重要なんです。
卵の「普通」も違う
そして、卵といえば、ゆで加減、焼き加減もあります。
私は、ゆで卵も目玉焼きも、断然半熟派。
夫は、目玉焼きなら両面焼きが好み。
……ありえません(>_<)
とはいえ、夫はそこまでこだわりがないらしく、結果的には私の好みが採用され、我が家では半熟が主流になっています。
こんな小さなことでも、家庭が違えば「普通」が違う。
「醤油の目玉焼き」が食べられなかった私
そして、目玉焼きには、もう一つ思い出があります。
中学3年生のとき、私は入院しました。
小さな個人病院だったので、食事は50代くらいの女性が、買い出しから調理、提供、片付けまで一人で行っていました。
食欲がない私を心配して、限られた予算の中からやりくりし、食べたいものを聞いてくれたこともあります。
一番苦しい時期に支えてくれた、大切な人の一人です。
そんな彼女の料理で、唯一どうしても食べられなかったものがあります。
目玉焼きです。
朝食に出てくる目玉焼きには、醤油がかかっていました。
当時の私は、目玉焼きに醤油をかけて食べる習慣がなく(;^ω^)
ただ、それだけのことなのに、どうしても箸が進まない。
じゃあ、何をかけていたかと言うと…
我が家では、ソースでした。
父の中で洋食認定された食材には、ソース。
トマトや目玉焼きにも、基本ソース。
そんな食卓で育った私は、それが「普通」になっていたんでしょうね。
食べ物の好みって、こういう小さな積み重ねで作られていくのかもしれません。
桃を丸ごと出したら「何これ?」
食べ物に関する我が家の「普通の違い」は、卵だけではありません。
果物の食べ方もそうでした。
私は、果物は丸かじりが一番おいしいと思っています。
特に一人暮らしを経験した私は、果物に対して、
「皮と種が面倒」
という感覚がありました。
過去形にしましたが、基本今も“面倒”だと思っています💦
実家にいる頃には、そんなことを考えたこともありませんでした。
でも、一人暮らしをしていると、果物を食べるために包丁やまな板を出して、皮をむいて、種を取って……という作業が急に面倒になる。
気がつけば、バナナ、みかん、ぶどうなど、手間のかからない果物を選ぶようになっていました。
りんごや桃なんて、ほぼ丸かじり。
かなりワイルドです(笑)。
そんな私が、ある日、夫のデザートに桃を準備しました。

「桃食べる? はい、どうぞ!」
夫はお皿の上の桃を見て、
「……何これ?」
「桃だけど」
「……冗談?」
どうやら、桃を丸ごと一個出されるとは思っていなかったようです。
そこで私は、ようやく気づきました。
桃は、切って食べるものだったのか……。
さらに決定的だったのが、ビワです。
家の横にビワの木があったので、私は子どもの頃からビワをよく食べていました。

ビワは手で皮をむきながら食べる。
それが私にとっての「普通」。
ある日、ビワを丸洗いして、お皿に数個盛って出しました。
すると夫。
「……これは、どうやって食べるの?」
「えっ? こうやって皮むいて食べるんだよ」
すると、
「包丁で皮をむいて、種を取って、フォークを付けてもらえるかな」
「えっ……」
「おれ、そんなにワイルドじゃない(笑)」
ビワの皮を包丁でむく。
そんな発想がなかった私には、衝撃でした。
もちろん、夫もかなり衝撃だったと思います。
私にとっての「普通」は、夫にとっての普通ではない
こうして振り返ってみると、私たちは結婚してから、数え切れないほどの「えっ?」を経験してきました。
でも、そのどちらかが間違っているわけではありません。
ただ、育ってきた家庭が違う。
食べてきたものが違う。
食べ方が違う。
そして、その違いには、子どもの頃から過ごしてきた食卓が大きく関係しているのだと思います。
自分にとっては当たり前。
でも、その「当たり前」は、実は当たり前ではない。
それに気づいたのは、夫と暮らすようになってからでした。
一人暮らしで「食事」は、できるだけ簡単に
一人暮らしをしていた頃の私は、食事にそれほどこだわりがありませんでした。
お腹が空いたら食べる。
できるだけ手間をかけない。
鍋に食材を全部入れて煮込み、そのまま一人でつつく「一人鍋」も普通。
できるだけお皿やコップを汚さない。
洗い物を増やさない。
「おいしいものを食べたい」という気持ちより、
「お腹を満たせればいい」
「お洒落で、美味しいものはお店で食べればいい」
という感覚のほうが強かったように思います。
ところが、夫は違いました。

少しずつ小皿に分けて盛り付ける。
料理に合わせて食器を選ぶ。
何かを食べるときにも、
「これには、これを添えたほうがおいしい」
と、ちょっとした手間を惜しまない。
最初は、
「なんて手のかかることを言うんだろう」
と思うこともありました。
「そこまでこだわる意味があるのかな?」
と。
でも、夫の実家の食卓を知るようになって、その理由が少しずつわかってきました。
夫が受け継いだ「食を大切にする」という感覚

夫の母は、食器をとても大切に扱う人です。
料理に合わせて食器を選ぶ。
小さな料理でも、小鉢にきちんと盛る。
食べることそのものを、大切にする。
夫が受け継いだ食器の中には、そんなお母さんの思いも一緒に残っているように感じます。
そして、その姿勢は夫の中にも深く根付いている。
最初は面倒だと思っていた私も、いつの間にか変わっていました。
今では、いくつもの小鉢を並べることが、ちょっと楽しい。
同じ料理でも、どの器に盛ろうかなと考える。
以前の私なら、考えもしなかったことです。
もちろん、毎日そんな丁寧な食事を作っているわけではありません。
疲れていれば手を抜きます。
一品で済ませることもあります。
洗い物を減らしたくて、大皿にどーんと盛ることもあります(笑)
それでも、
「食事を楽しむ」という感覚は、確実に私の中に増えていきました。
食べることが、少しずつ変わっていった
私はもともと、自分のためにはあまり頑張れない性格です。

自分一人なら、
「今日は適当でいいか」
となりやすい。
でも、家族ができると変わりました。
家族がおいしいと言ってくれる。

家族の健康を考える。
一緒に食卓を囲む。
今日あったことを話す。
「これ、おいしいね」と言い合う。
そんな時間が、いつの間にか私にとって大切なものになっていました。
食事を作ることは、正直、面倒です。
毎日、献立を考えて、買い物をして、作って、片付ける。
疲れている日は、
「誰か作ってくれないかな」
と思うこともあります。
それでも、夫や子どもがいるから、
「今日も何か作ろう」
と思える。
食事は、いつの間にか私にとって、
お腹を満たすだけのものではなく、家族と時間を共有するもの
になっていました。
子どもの頃の食卓は、自分の「普通」をつくる
今回、こうして自分たちの食卓を振り返ってみて、もう一つ思ったことがあります。
私たちが「普通」だと思っている食べ方や味覚は、子どもの頃の食卓から作られているのかもしれない、ということ。
目玉焼きに何をかけるのか。
果物をどうやって食べるのか。
どんな器を使うのか。
食事のときに、どんな会話をするのか。
どんなものを「おいしい」と感じるのか。
そういう一つ一つが、知らないうちに自分の中に残っていく。
だから、食事って面白い。
同じ日本で育っていても、家庭が違えば「普通」が違う。
そして、大人になって誰かと暮らし始めると、その違いに気づく。
ときには、
「えっ?」
となりながら(笑)。
夫と暮らして、食べることの楽しさを知った
夫と暮らし始めた頃は、
「そこまでしなくてもいいのに」
と思っていたこともたくさんあります。
でも今は、夫の
「せっかく食べるなら、おいしく食べよう」
という姿勢を、少し尊敬し始めています。
年齢を重ねると、
「今までこうだったから」
「面倒だから」
「一人ならこれでいい」
そんなふうに、自分の中の「普通」に固まってしまうこともある。
だからこそ、夫のように、
「少し手をかけて、楽しもう」
という気持ちは、これからの私の暮らしにも必要なのかもしれません。
夫と暮らして、私は食事の作り方だけではなく、
食べることの楽しさを、少しずつ覚えていったのかもしれません。
そして、私もまた、家族との食卓を通して、子どもに何かを残しているのかもしれない。
そう考えると、毎日の何気ない食事も、少しだけ違って見えてきます。
今日も、
「何食べたい?」
「これ、おいしいね」
そんな会話をしながら、家族と食卓を囲む。
もちろん、面倒な日は手を抜きながら(笑)。
それでも、そんな何気ない時間を、これからも大切にしていきたいと思います。
ちなみに我が家では現在、
目玉焼きにはご飯。
桃は切ってフォークを添える。
ビワは私だけ、密かに楽しむ。
そして、小鉢の数は、私の気持ちの余裕を表しています。
結婚して何十年経っても、食卓にはまだまだ「へぇ~」が転がっている我が家です。
追記:
夫の薬味の使い方にも日々思うところがあります。
これはまた、機会があったらお話しします。





